My story

ヨガとの出会いは講師歴30年の母から

25歳まで商社OLとして勤務していたが、電子機器を壊すほどエネルギーが職場に合っていなかった。ストレスのせいか肥満になってしまい、母のヨガを真似してみるとそれだけで13kgも痩せた。「ヨガってすごいのかもしれない!」それがはじめの気づきだった。

やがて学生時代のアルバイトで出会った夫と結婚。26歳のときだった。ほどなくして1人目を妊娠。
よろこびも束の間、妊娠発覚と同時に父が危篤に・・・。たった2週間で帰らぬ人となってしまった。

産後うつ、そして天啓を受ける

そのあとも怒涛の日々がつづく。お葬式が終わった直後には、今度は母のガンが見つかったのだ。

不安の中、夫の転勤先だった名古屋から里帰りして無事に女の子を出産。そして、自分でも思いがけないことが起きる。「産後うつ」だった。

母がもう長くないことへの不安に襲われるなか、その母が抗がん剤を打った後のつらさから機嫌が悪くなり、新米のママである私に「早くオムツ変えなさい」「早くお風呂に入れてあげなさい」「早く、早く・・」と責め立てるようになってしまった。母娘の衝突を和らげていてくれた父ももういなくなってしまって、一日中、自分を追い立てる母の意地悪な一面を目の当たりにし、優しい母だったのにという悲しい思いのなか、鬱を発症した。

産後の不養生も重なってどんどん気分が沈んでいった。親戚が手伝いに来てくれたのはありがたかったものの、今思うとその人も更年期障害だったのかもしれないが、母と一緒に私を責め立てる。もう、手伝ってくれなくていい、1人で赤ちゃんのお世話をした方が楽とさえ思うほどだった頃、一生を変える閃きがあった。

実家から住まいの名古屋へと戻り、1人での子育てが始まった。ある日の夜中、あぐらをかきながら授乳をし、まるで「スカ・アーサナ」のようなポーズをしていた時に、突然、「そうだ、ヨガを教えよう」と思ったのだ。まだヨガをきちんと習ったことすらなかったのに、赤ちゃんを抱いている私に、確信のようにその想いは降り注いできた。月の出ている夜だった。

YOGA 「私の人生、つながっている」

閃いたのはちょうど、実家から離れ、いつものように母とバトルをした後だった。どんな反応をされるかわからないけど、伝えてみたいと思って恐るおそる実家に電話をかける・・。「ママ、私、ちょっとヨガの先生になろうと思っちゃったんだけど、どう思う?」と聞いた。

すると意外な言葉が返ってきた。「すごくいいわ。由美だったらなれると思うよ。」「わあ・・・!そうだよね!うん、そうしよう。」とても嬉しくなったのを覚えている。あれから20年経った今も、母の言葉はずっと私の背中を後押ししてくれている。

そういえば、安産祈願に行った水天宮の近くの洋服屋さんで買ったマタニティウエア。首のところについていたタグに書いてあったのは「YOGA」という文字だった。YOGAはサンスクリット語で「つなげる」を意味する言葉。

母が長年ヨガを教えてくれていたこと、母を失うかもしれないという不安のなかで産後うつになりながら聞こえた心の声、母の励まし、安産祈願のときのタグの文字・・・。色々思った時に「私の人生、全部つながってる!」そう思えた瞬間だった。

日本のアーユルヴェーダーの第一人者の先生のもとへ

ちょうど夫の転勤先だった名古屋から埼玉へ引っ越すことになり、それを機に「いよいよヨガの勉強をする時がきた・・!」と教室を探してみると、今のようにたくさんあったわけではなく東京に5箇所見つけることができた。

第一人者である師匠との運命の出会いは28歳のときだった。直感で、長年アーユルヴェーダの研究と実践を重ねている師匠・西川眞知子先生のヨガ教室の門を叩く。授乳中の通学だったので、教室のお手洗いで搾乳しながら無我夢中で学ぶ日々。充実した時間だった。

悲しみは口から出さないといけない。

そんな中、いよいよ母とのお別れの時がきた。最期の日々、入院先から家に帰ってきた母。だんだんと動かなくなっていく。そして、2月22日の朝。「おはよう」と言ったきり、動かなくなった。

後から思い出すと、そういう時って冷静なんだなって。後から思い返して不思議なくらい落ち着いていた。冷静に、脈をとった。もう動いていない。次は電話だ。1歳の娘が母のそばを歩いている。お世話しなくちゃ。ドタバタドタバタ・・気がついたら、悲しみをしっかり感じないまま日々が過ぎ去っていた。悲しみは口からしっかり吐き出さないといけない。後からその時にもっと泣けばよかった、悲しめばよかったと後悔した。その経験が、出会う人たちの心にしまった想いを吐き出せる場所づくりをしたいという思いにつながっている。

インドへ、日本との文化の違いから感じたこと

ヨガを学ぶ者として憧れの地、インド。子育てをしながら駆け出しの指導者として奮闘していたころ、聖地に行くチャンスが訪れた。

目にするすべてのものが新鮮。インドと日本の違い、それはほぼすべてが違った。手足の長いインド人に比べて、日本人の自分は手足が短くアーサナがキツすぎると感じた。食事はほとんどがカレーで、野菜は身体を冷やすものばかり。

体格も食事も文化もこんなに異なるのに、インドで生まれたヨガが、日本人である私たちにフィットするのか?そんな疑問とともに帰国する。インドでの滞在をきっかけに日本には四季があり、旬の食材があることに改めて気づき、探究が始まった。季節に旬があるようにヨガにも旬がある!

セラピストとして働く中で見つけた「自分軸」

一方でアジャストメントを学びたい気持ちからタイ古式マッサージのセラピストとしてデビュー。毎日のように店長から下手と言われる一方で、なぜかお客さんは「気持ちよかった」と褒めてくれた。さまざまな複雑な思いを味わい、人間関係でも学びの多い職場だった。自分以外の人がどんなことを言っても軸はぶらさずに進むしかないと心に誓って、5年にわたる期間をセラピストとしてつとめた。

プライベートでは、母を亡くした喪失感が拭えず代わりになる存在を探す日々。

ヒーリンググッズをたくさん買ったり、自分を洗脳して依存させる人を呼び寄せてしまったり。苦しい日々だった。慕っていた憧れの女性が自由に遊ぶ姿をみて「私はもっと、本当の私で生きてもいいんじゃないか」と気づく。

インドから帰国後、季節ごとに骨盤が動くことを書物で知って独学で学び始める。日本人に合う身体操法を求めて、中医学のボディワークを学びに7年ほど通った。やがて、その師匠に「依存」を指摘される。「ゆみさん、独自のものを作り上げるならもう私のところに来なくていいわよ」と言い渡された。

「自分でいること」「自由でいること」「依存から解き放たれること」メッセージが届き始めていた。

ヨガをやっているのに体調を崩した経験から

34歳の頃、ヨガをやっているのにも関わらず体を壊した。精神を病んでるんじゃないかと悩む日々。なぜこうなったのかと色々と探っていくうちに、自分の経験から産後の体の使い方が原因かもしれないと思い当たる。

骨盤について書かれた本や、和暦と身体リズムについての本など、手あたり次第に必要と思われる文献を読み漁り、知識を蓄えていった。「産後は骨盤を締めてはいけない」「ゆるむからこそ引き締まる」「季節ごとにヨガは変える必要がある」など確信が広がっていく。

42歳で閉経した経験から「閉経は怖くない」

そんな中、37歳で卵巣嚢腫を患ったことから、42歳の若さで閉経した。閉経のあと、自然と5キロ痩せたほか、探究していた知識をもとに自分自身をメンテナンスしたおかげで閉経前よりももっと元気になった。一般に閉経は「女子じゃなくなる」という思い込みが多々あるが、じつは「波」のような女性特有のリズムに引っ張られなくなり、より本来の自分になれる、素晴らしい時期であると実感した経験だった。

のちに組み立てていった「女性性のワーク」では、子宮は生理が終わっても「お手当」をするのが大事であると伝えている。子宮と卵巣を一生忘れないで自分が観て、触れてケアをしてあげることの大切さや、内側から湧いてくる力を生成すれば、老いを恐れる必要はないという考えを広くメッセージしたいという想いが生まれた。

パン屋さんで吠えた「二十四節気美人ヨガ®️」の誕生

様々な経験をしながら、古今東西の知恵を探究し、エネルギーが満ちてきた頃の2月の昼下がり。日の光のあふれるパン屋さんのカフェスペースで他の用事をキャンセルしてまで、図書館で見つけた季節についての本を読みたかった。その中で閃きがあって「これ、私、いつか教えるんだ!」「ヨガの先生ための養成講座をやるんだ!」そう思った時、ひとりで「わあ!」と吠えてしまった。その後、その本を購入し、ボロボロになるまで読んで、カリキュラムを書き出した。

「二十四節気美人ヨガ®️」養成講座の1期生

一般のヨガクラスには一時期20人ほど生徒さんが在籍していたのに、どんどん小さくなっていっていた。元々大勢のクラスが好きではなく、一人ひとりとコミュニケーションを取る方が向いていると感じていたので、無意識にクラスを小規模化していたのかもしれない。当時所属していた組織からは「もっと前みたいに人を集めてください!」と言われていながら、なぜか自分のスタンスは崩せず、少人数のクラスで数年続けていた。

そしてその後、独立。そこで開催していた産後クラスの生徒さんから「弟子にしてください」とお願いをされたのだ!しかも、4名から!「もう逃げられないな」と覚悟を決めて養成講座を立ち上げることに。生徒さんと一緒になってテキストを作り上げ、講座の基礎を作ることができた。

その後、地元埼玉からの受講者が、東京、栃木、群馬、茨城など関東のみなさんをはじめ、新潟、岐阜、石川、山口、北は北海道、南は宮崎まで全国へ広がった。2025年には海外からの生徒さんも受け入れ予定となっている。

■伊藤由美子 プロフィール
1976年生まれ
1998年 玉川大学 外国語学科卒業    
1998年 商社へ就職
2002年 結婚
2004年 第一子妊娠と同時に実父危篤、二週間後実父永眠
お葬式後、実母病気発覚、出産
Ayurveda Nature Care College認定 「YOGAティーチャー」・「タイ古式セラピスト」資格取得
ヨークカルチャーでヨガ教室を開講
2006年 実母永眠インドへヨガ修行
2007年 ヨークカルチャーでヨガ教室を開講
     スパ施設にてセラピストとして従事    
2010年 体調を崩す
2013年 第二子出産
2014年 『美人•ヨガ®️』商標登録取得     
2018年 42歳で閉経
2019年 『二十四節気美人•ヨガ®️』商標登録申請(2021年取得)

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